【ぱっかーんの瞬間】両親に離婚の意思を報告した時のこと

こんにちは、あっこです。

私にとって、
自分史上最大の転機となったのは、
離婚の意思を報告しに実家に帰った時

この日無くして、今の私はない。

自分自身の
「思い込み」
というフィルターで家族を長年見ていたこと
その事実を体感レベルで実感したことで、
私と両親の関係性は驚くほど変化した。

また同時に、
両親との関係性の変化は、
自分自身との関係性の変化を意味した。

このとき、私の両親は変わっていない。

何一つとして。

変化したのは、私のフィルター。
ただそれだけ。


でも、それが全てだった。

今私がこうして毎日幸せであることも、
両親と心地よい距離感で良いコミュニケーションが取れることも、
全てはあの日があったから。

こうして文字にしてしまうと、浅く見えてしまうかもしれない。

けど、

わだかまりがなくなり、
心の底から両親の愛情を実感できた時、
私って愛されてるんだ・・って思えた時、

それは、

自分自身を認め、
受け入れ、
愛するための、
ものすごく強いパワーになる。

私はあの日から、
大嫌いだった自分を、本当の意味で受け入れ、前に進めるようになっていった。

よく、
「あなたはあなたのままで価値がある」とか、
「ありのままの自分で良い」
なんて言われるけれど、


軽々しく言うなよw って思う。

この意味って、試行錯誤して、何周も回った人が、やっと腹落ちできるものだと思っている。

とは言え、とてつもなく難しいことではない。


自分の「フィルター」の存在に気づくことができれば、必ず”ぱっかーん”の瞬間はやってくる。

ここからは、完全ノンフィクション。

2018年2月。
平昌五輪が開催されていたあの頃。
私あっこの物語だ。

何て説明したら良いの・・?

2018年2月。
夕方の赤坂サカスのスタバ。

浮かない気分で、でも必死にノートを書いていた。

保守的で頭の良い父親に対し、
離婚の意思を一体なんと説明すれば良いのか?

まるで報告書を書くかのように、
背景・経緯・事実(自分の意思と今後の進め方)を淡々とまとめようとしている自分がいた。

そもそも父とは、大学入学以降、表面的なコミュニケーションしか取ってこなかった。
正直に言うと、怖くて、面倒で、極力彼とのコミュニケーションを避けてきた。

私が説明しようとしている離婚の理由は、
果たして父に納得してもらえるのだろうか?

「もう二度とこ家に帰ってくるな!根性なし!」などと言われてしまうのだろうか?

結婚前、父は私にこう言った。

「結婚とは、我慢だ」と。

つまり、私の決断(離婚する)は、
「我慢が足りない」ということになるのだろうか?

いや、私はこれまで30年間、
習い事もバイトも仕事だって、
投げ出したものなど一つもなかった。

私の初めての「お手上げ宣言」なのだから、
さすがにわかってもらえるのではないか?

いや、それともこれは甘えなのか?

刻一刻と、時間は過ぎてゆく。

運命の家族会議

実家に向かう小田急線。
もう延々に家に着かなければ良いのに・・

離婚の報告をしに実家に帰る。
これほどまでに憂鬱な帰省が他にあるだろうか?

入念に準備と検討を重ね、
とてつもなく憂鬱な気分で実家に向かったが、
なんと、全くの杞憂に終わった。

家族会議はわずか10分で終了した。

離婚の意思は、
事前に母に伝えてあったため、
父も概要は理解した上で始まった話し合い。

「もう、決めたのか?」

「うん」

「彼の契約不履行だな。さっさと別れなさい。」

その時だった。

こんなに両親の前で泣いたのは、
子どもの時以来ではないかと思うほど、涙が出てきた。

年末に夫から離婚を切り出されて以来、
ずーーーっと張り詰めていた何かが、ここで全て切れた。

そしてこの時、
長年抱いてきた自分の不安・苦しかったことについて全部両親に打ち明けた。

私は、パパとママの期待を裏切ってばかり。

大学受験では、
第一志望の国立には入れなかったことを、今もとても申し訳なく思っていること。
「ダメだった」と伝えた時の、パパの落胆した表情が今でも忘れられないこと。

就職した会社も、
人気の大企業ではあっても、
私の友達たちが就職したような、いわゆる”エリート企業”ではないこと。

やっと30になって結婚したと思ったら、
一年経たずして離婚すると言いだしたこと。

きっと、私がこのままワーキングマザーとしてキャリアを積んでいくことを期待していたであろうが、それには応えられなくなってしまったこと。

そういえば子どもの頃、
毎日パパが帰宅すると「今日もお利口にしてたか?」と聞いてくるのがとても苦痛だったこと。

子どもの頃からずっと自分が大嫌いだったこと。

パパとママは妹を甘やかしすぎ(もっと怒ったり、ダメなことは矯正すべき)だと思うこと。

離婚の話から転じて、
今まで一度も言葉にしたことはなかったけれど、
長年自分の中でつっかえていたことを、正直に話した。

両親は、きょとんとしていた。

父が言った。

「悪かったな・・・
大学受験のことも、
就職・仕事のことも、何も気にしていない。
そんな期待などしていなかった。
離婚のことも何ら問題ない。
あきこ(私の本名)が幸せであればそれで良い。
それだけだ。」

重ねて母が言う。

「そうよ〜
あなたが幸せなら、
パパもママもそれでいいんだから^^」

えっ???
今話したこと全部・・
私ずーーーーーーっっと気にしてたんだけど!!!!

もしかして、全部私の勝手な思い込みだったの?
そうなの?!

嘘でしょ!!

この時、
私が何十年間も続けてきた、
”自分責めゲーム”の終了ゴングが鳴った。

私は、
一人で勝手に自分を追い込んでいた。


パパとママはいつも、
”○○な私”を期待していると思っていた。

それに応えられない自分が許せなかった。

でも、そんなこと、何も期待なんかされていなかった。
私はただ、私で在れば良かった。
それだけだった。

そう、
この瞬間こそが、
私の”ぱっかーん”であった。

もしかしたら、
この瞬間のために、
全てが仕組まれていたのではないか?と思うほどだった。

一連の離婚劇も、
2年前のメッセージも、
あの時引いたオラクルカードも、
インナーチャイルドセラピーとの出会いも何もかも。

それから

「何か」があるから、両親から認められたり愛されるんじゃない。

親の愛とは、決してそういった条件付きのものではない。

私は私のままで良かった。

この意味について腹落ちすると共に、
この数ヶ月間で気づいた私自身の思考の癖(被害者意識)との決別を心の底から誓った。


私は私のままで良い。
その「私」の人生は、他の誰でもない、私が創る。

そう心の底から思えた時、私の人生は変わり始めた。

これが私の原点。


さぁここから、
31歳にしてようやく、
自分軸・自分の意思で、自分を生きる日々が始まるのだった。